繕いという手仕事に込められたやさしさ
服がほつれたとき、かつての私は迷わず「もう処分かな」と思っていました。糸がほどけ、布が薄くなり、見た目に痛みが現れると、自然と手放す準備を始めてしまう。でも、ある冬の日、毛糸のカーディガンの袖口がほつれたとき、不思議と「まだ着たい」という気持ちが強く湧いてきました。
そのカーディガンは、母から譲り受けたもので、数年前までは母が寒い日に決まって羽織っていたもの。やわらかなウールと手編みのような風合いが特徴で、着るだけで気持ちが落ち着く一枚でした。そのほつれを見つけたとき、私は繕ってみたいと思ったのです。
裁縫は得意ではありません。でも、きちんと直すのではなく、見せるように直すという技法があることを知り、少しだけ前向きになりました。いわゆる「ヴィジブル・メンディング」と呼ばれる繕い方で、傷を隠すのではなく、あえてカラフルな糸や刺し子模様を使って、服に新たな表情を加えていく手法です。
小さな手仕事が、服にもう一度命を吹き込む
繕いは、時間のかかる作業です。ほつれた箇所を見つけ、補強するための布や糸を選び、針を通す。手間がかかるけれど、その遅さこそがこの手仕事の魅力だと思いました。針を進めながら、服とじっくり向き合っていくうちに、「傷んだ場所」がどこか誇らしく見えてくる瞬間がありました。
私は最初、手元にあった赤い刺し子糸を選びました。カーディガンの濃いグレーに映えるその色は、傷を隠すのではなく「ここに時間をかけた」という証のようにも思えました。まっすぐ縫うのが難しくても、少し曲がっても、針を動かすたびに少しずつ形になっていく。
完成したとき、そこにはかつての新品とは違う温かさがありました。新品に戻すのではなく、時間を経て生まれ変わった一枚。繕った部分に触れると、自分の手の痕跡がそのまま残っているようで、着るたびにやさしい気持ちになりました。
それからというもの、私は服のほつれを見つけるたびに、すぐに処分せずに、直せるかどうかを考えるようになりました。完璧であることではなく、時間と手が加わったものを身につける心地よさに、すっかり魅せられてしまったのです。
暮らしを縫い直すという視点
この繕いの時間は、ただ服を直しているだけではありませんでした。心のどこかにたまっていた「もったいない」や「まだ一緒にいたい」という気持ちを、自分なりに受け止める時間でもあったのです。
私たちの暮らしは、効率や手軽さを求めるあまり、モノとの関係をどこか浅くしてしまいがちです。穴があいたら買い替える。汚れたら捨てる。そんな判断が悪いわけではないけれど、その前に「まだできることはないか」と考える余白があると、暮らしがぐっと豊かになるように感じます。
繕いは、その余白を与えてくれる手仕事です。完璧に仕上げることではなく、「直したい」という気持ちに素直になること。そして、その手を動かす過程そのものが、自分の暮らしを少しずつ縫い直すような営みなのかもしれません。
何かを長く使うということは、愛着を積み重ねていくこと。そしてその愛着を、手で支える時間こそが、モノとの関係を深くしてくれるのだと思います。ほつれを見つけたとき、「もうダメかな」と思うのではなく、「もう少し一緒にいたい」と思えること。それが繕いという文化の、美しさなのではないでしょうか。