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使い古した画材との別れ方

画材

積み重ねてきた時間が染み込んだ道具たち

手仕事に親しんでいると、道具に対する感情がいつの間にか変わっていることに気づきます。買ったばかりの頃は「使うためのもの」だった道具が、いつしか「使い続けてきた相棒」になっている。その変化は静かだけれど、確かに心の深いところに積み重なっていくものです。

私は長年、水彩画を趣味にしています。使い込んだ筆やパレット、塗り重ねた色の跡が残る下敷き、そしてもう何年も開いていないスケッチブック。道具のひとつひとつには、そのとき描いていた風景や季節の空気、心の動きまでもが染み込んでいるように感じます。

ですが、どんなに大切にしていても、道具には終わりがやってきます。筆の毛先が開いてしまったり、パレットが乾いた絵具で埋まってしまったり。もう前のようには描けないことがわかっていても、「もう十分使ったから手放そう」とはなかなか思えませんでした。それは、ただの道具ではなく、創作とともに歩んできた時間そのものだったからです。

感謝を込めて見送るという選択

引き出しの奥に眠っていた何本かの筆を見つけたとき、ようやく私はその役目の終わりを認めることができました。ふと思い立って、一本ずつ丁寧に拭き、昔描いた絵と一緒に並べてみました。何の変哲もない道具に、思い出が重なっていく感覚。その作業は、まるで古い友人に手紙を書くような穏やかさがありました。

その中でも特に手に馴染んでいた一本は、穂先がすっかり開いて、もう繊細な線は引けなくなっていました。でも、捨てるには忍びなかったので、穂先を短く整え、小さな木箱に収めて机の片隅に置くことにしました。もう「道具」ではなくなったけれど、これからは「記憶」としてそばにいてくれる。そう思ったとき、不思議と心が軽くなりました。

すべてを取っておく必要はありません。でも、すべてを忘れ去る必要もない。自分にとって意味のある形で送り出すことができれば、それはきっと「別れ」ではなく「区切り」になるのだと思います。

道具を手放すことで、新しい創作が始まる

私たちは、何かを手放すことでしか得られない余白を、暮らしの中に必要としているのかもしれません。使い終えた道具たちを見送り、心にスペースができたとき、自然と新しい創作のことを考え始めていました。「次はどんな紙を使おう」「あの色、また試してみたいな」と、静かに前を向く感情が湧いてきたのです。

思い返せば、あの筆で描いた線、あの色で表現した影。それらは全て、今の自分の一部になっていて、もう失われることはありません。手に残る感覚も、心に刻まれた試行錯誤の記憶も、次の作品へと受け継がれていくのだと感じます。

道具を捨てるのではなく、感謝と共に送り出す。その行為が、自分自身を少し整えてくれるような気がしました。モノに込められた想いや記憶を認めながら、ゆっくりと手放していく。手仕事に向き合う時間のなかで、そんな静かな別れ方ができたことを、今ではとても誇らしく思っています。